劇団をはじめる

左岸族リアルタイムドキュメンタリー

稽古場

劇団員二人とも会社員のため、稽古日はこまめに決めている。試演会が決まって、当日までの稽古日を決めて、そこから場所を探した。いつも使っている公立施設で日程の半分くらいとれた。別の公立施設を探す。前日に予約できた。市内の貸しスタジオを探す。8月残り2回の稽古を予約する。

見つかってありがたい。

ありがたいのだけれど、大阪市の市内の公立施設が前日に借りられる。ミナミにある貸しスタジオが一か月前に予約できる。いったい大阪の文化活動ってどうなっているんだろう?(僕らは二人なのでカラオケボックスだって稽古するのだけど)

少しさびしい。

ドラマターク

2021/7/8
いつも言葉少なな才木が稽古前に「最後の方のこのセリフ、ちょっと違和感あんねけど、変えていいかな、まあ、まずアドリブで」と申し出る。「うんうん」
やってみる。明らかに良くなる。
本間が書いた抽象的一般的なラインを戯曲の流れに即した具体的なラインに変えたのだ。
ということで、あふれ出した断片は公開の方に回します。
(どう変わったかは本番でのお楽しみ!)

久しぶりの屋内稽古

2週間ぶりか。稽古。屋内。屋外で稽古していたせいで、知らず芝居全体の線が太くなっていたことを実感する。少し高い位置に座って掛け合ったら、バス感がいやます。演じている側からの視界大切。タイトルについて、ひとつ提案。来週、今後の予定を確定に行く。

稽古休み

2021/6/16 相方のファミリーマターで今週は稽古がない。演劇だけが表現できる抽象空間をどう立ち上げるかひたすら考えている。できるはずだと考えている

古典

2021/6/11 久しぶりに能楽を観る。大局『砧』。言葉と体と声と音の横溢する素晴らしい古典劇。地に足の着いた空中楼閣。高度に抽象的なメロドラマ。伝統(伝わり統べられてきたもの)の、この確からしさ。口幅ったいことを言うが、左岸族もそこに連なるのだ。むろん十中八九消えていく側に入るだろう。しかし生まれ消えていくそのことで、私たちは新しい伝統の生成に参加している、というか参加させられているのだ。半世紀生きてくると、それは希望ではなく実感である

右岸

2021/6/9 さて、緊急事態宣言です。ホームとして使用してきた公民館(っていうのかしら今でも。大阪市の施設ですね)は休館が続いています。
で、今は右岸で稽古しています。川の右岸です。蚊がやってきます。ランナーが通り過ぎていきます。縄跳びしている人も、たたずんでいる人もいます。
演劇の稽古だって、市民のアクティビティであり、憩いなんです。そんな心意気で。

作劇1

2021/5/16 戯曲を読み直して、古典的なある構造があることを発見し、それにしたがって演出(演技)プランを仮置きする。才木に伝えると👍。この人、このマークよく使うけど本当のところどのていど、いいね、なんだろう?

愕然

コードネーム「バス」はWordの標準レイアウトで904ライン、16321字あった。役名とそれに続く空白を4文字として、ト書きや空行もえいやで、その分差っ引いても1万3千文字。覚えられるのか?

試演

2021/5/13 マージした稿を読み合わせ。公演ベース稿として、才木、本間とも異存なし。予想以上にパフォーミングアーツになったので、選任の演出家のいないカンパニーとして試演をやりたいなあという欲が出てきた

決定稿

2021/5/11
予想に反して、才木は既存部分を一切変更せず、ブリッジを一つと、必殺のアイテムを一つ差し込んできた。夜の公園の街灯の下で、お互いの戯曲を読む。本間の差し込んできたラインも才木の気に入った。細かな調整は本間稿をベースとし、そこに才木稿のブリッジとアイテムをマージして、決定稿。早く客前に出したい。

手元決定稿

第一稿の微調整を終えた。
起承転結の流れは変えない。
1.才木の持ち込んだプロットを変形
2.感情の飛ぶシーンを精査。a.丁寧につなぐ。b.よりギャップを広げる。c.ギャップの間に飛び石代わりの新しいラインを入れる
3.その他、細かな応答の修正。
いったんこれで手元の決定稿として、次の稽古を迎える

第一稿

コードネーム「バス」第一稿があがった。大きな変更はなかったが、才木の持ってきた部分を自分の好きな演劇の方に寄せる。おそらく才木は私の持ってきた側を才木の好きな演劇の方に寄せると考えているのだが、さて、どうなるだろう。

第一稿を通して読むと、キャラクターの立て方のメリハリがはっきりしたように思う。二人の男の片方は芝居的で、もう片方は演劇的なのだ。80年代に演劇を開始した人の戯曲だな。という気がする。

さて、少し寝かせて、最終調整をして、才木の稿とぶつけ合う。楽しみだ。

あだ名

2021/5/1
GWの最中は、コードネーム「バス」の書き直しに専念しているが、
才木からメッセージ、語りの中に登場する人物のあだ名を変えた。との報告。
もともと、本間が書いたパートで二人が共通に知る人物のあだ名を使っていたのだが、
これを響きのよく似た、だが架空の、それもありそうであまり聞いたことのないあだ名に
変えてきた。

なるほど。途端に広がりが出た。やるね、戯作者才木典秦

制作会議

2021/4/27 稽古場が緊急事態で閉鎖したためコメダ珈琲で打ち合わせ。7月公演の制作について。GWは「バス」のシナリオをそれぞれ上げてくる(二つのバージョンができる)のをぶつけて考える。当面戸外での稽古も行う。7月以降の客演の可能性。など。制作者としてやらねばならないことが増えた。やるぜ旗揚げ!

緊急事態宣言

2021/4/25より3度目の緊急事態宣言が発出されました。稽古場(公共施設)も宣言下ではクローズ。粛々と制作準備を進めます。というか、そろそろバスの戯曲あげないと。

実は

1)左岸狂言『鱒釣』には一か所実在の地名が出てくるが、実は俳優も制作も(多分)行ったことがない。執筆を開始してから、インターネットでちゃちゃっと裏を取って挿入したのである。何、世阿弥も観阿弥も見たこともない土地のこと書きまくっているやん、と厚かましくも使わせていただいてますが、そのうち取材に行きます。

2)また左岸狂言『鱒釣』には、とある島の名が出てくる。この箇所(祭文)は大阪市内を流れる大川にある中之島を眺めながらつくった。「水=すい」という音と、劇団にとって非常に個人的な記憶が、この祭文を(節つきで)一瞬で誕生させた。稽古で最後のセンテンスの語尾を変えた以外、思いついたそのままのかたち。(2021/4/18)

 

左岸狂言「鱒釣」の初お披露目を終えて、この芝居はお客さんと育てるタイプの芝居だということがわかりました。まずは関西圏、どこにでも参ります。子どもさんからおとなさんまで楽しめる10分程度の軽演劇です。イベントやお楽しみ会の賑やかしに、是非お声がけください。リクエストは「お問い合わせ」ページからどうぞ! 

初舞台

2021/4/11 初舞台が終わりました。ありがとうございました。

本番前ラスト稽古

2021/4/8 小さなイベントヘの参加だが、カンパニーにとっての初舞台。本番日前ラストの稽古は、力抜いて軽く読み、当日段取りを確認して、最後にランスルー。素人のつくる新作の狂言をどう見ていただけるのか、場所づくりは整えて、あとはお客さんの領域。お客さんを信じることが、今カンパニーができる唯一のこと。

リハーサル

2021/4/4。リハーサル。会場の小さなカフェを想定し、自分たちの順番が来て、道具配置、場当たり、前説、左岸狂言『鱒釣』、終了後の挨拶と、全体をランスルー。
むかし、札幌で大分出身の友人と「第6工場」という詩朗誦のユニットを組んだ時、Robert WyattのShipbuildingをかけながら詩を読む。みたいなベタな構成をしたことがある。その時友人が、音威子府(確か)の食堂で冷やしラーメンを頼んだら、お婆さんが普通のラーメン作って、それに氷浮かべて持ってきて「こんなもので良かったべか」とおずおず差し出してくれたエピソードを話してくれて、二人で「こんなもんだべか」精神で本番迎えましょうと決意した。
というエピソードを才木に話して、再び「こんなもんだべか」精神で創作狂言を披露する気合を確認する。
後は本番でおだたなければそれで良い。これに関してはむしろ本間が不安である。
※おだつ。北海道で知った言葉。子どもが広い場所に来るとはしゃいで走り回ってしまう、あの状態になること。子どももそうだが、大人も慣れない舞台におだつことが、ままある。

大声

2021/3/30 稽古。才木も本間も地声が大きい。かてて加えて、1980年代に学生演劇で俳優を開始したため、舞台用の発声が基本でかい。左岸狂言『鱒釣』の初披露は小さなカフェスペースである。声を押さえて押さえて稽古する。だが、ストーリーが盛り上がる。熱が入る。声もボリュームアップしてしまう。うるさい。うるさいって絶対。落ち着いていこう俺ら。

構造

演出するというのは、戯曲の中から何らかの構造を取り出し、それを時間と空間に配置することだと、考えていたし、今も考えています。コードネーム「バス」の作劇では、お互いが部分部分を持ち寄って、読んで、感想をつぶやいて、そのことで構造をつかんでいく作業をしているつもりでした。
ら。俳優部才木がここにきて、ぐいぐい構造を体現し始めている。むしろ構成・推敲途上の戯曲に構造を埋め込むような立ち姿に変わってきている。おお。これがナチュラルボーン俳優ってやつだ。と身内褒めみたいで恐縮ですが、理で芝居にアプローチするタイプの私は久しぶりのマイクロ・カルチャーショックを受けています。負けぬ。

ドラマターク

2021/3/19。ドラマドクターとかスクリプトドクターというほうがポピュラーかもしれない。シナリオを校正、修正、微調整する役割。昨日仕事の合間に、コードネーム「バス」の序盤の気になっていたところをセリフの対象を変えて、ラスト部分でそれを受けることを思いつき、忘れそうなので、その場で才木にメッセンジャーで打診。程なくしてサムアップのリプライ。二人ともシナリオを書き、演出をし、演技もするので、ドラマターク(一人では気づかない視点の導入が存在価値だと考えている)も二人。

30分の歴史

2021/3/16。コードネーム「バス」は登場人物の成長を見せるタイプの芝居ではない。とはいえ、邂逅による変化、というのは物語の王道なので、何がどのように変化できるのか、注意しいしい本を読む。相方の持ち込んだ「結」の完成度がかなり高いため、ここから逆照射して登場人物の初期条件を仮置きし、戯曲のそこここに変節点を仮打ちしていく。たった小一時間の言葉と体と感情の歴史編纂。広い意味での役作りの作業をゆっくりゆっくり行っています。

グルーブ

2021/3/11 鱒釣をさらってから、「バス」。突然相方に一本芯が通った。まだ戯曲も完成していないのだが、ある人物像を造形したという達成があった。双方の間にグルーブが形成された実感もあり、最後のワンラインを読み終えた後、はじめて音楽が流れる(音楽を入れる)ビジョンがあった。芝居ができあがりつつある。

持ち道具を決める

芝居をするのに、どこまで有対象とするのか、またどのていどリアルに作るのかは作劇ごとに変わりますが、『鱒釣』は狂言なのでシンプルに行くことに決めました。釣り竿に見立てた竹棒と扇子になりそうです。それと鳴り物は使う予定。

ダメだし

今の演劇人は、その行為をどう呼んでいるのだろう。私も才木も、(通し)稽古の後の反省のことを「ダメだし」と呼ぶ演劇環境で育った。そこは、演出が絶対的な決定権を持つ場であることが多かった(そうでないダメだしもあったが、やはりダメだし、と呼ばれているのであった)
新しい言葉を探さないといけない。振り返り、フィードバック、総括、ダメだし、そんなすべてを吹っ切る言葉。今なした行為をまるで他人事のように鑑賞し、連続と非連続、双方からの更新を駆動する言語活動を(最後ちょっと生硬な物言いですが

ミーム

制作会議で、カンパニーの方向性を話していた時、才木がミームというワードを持ち出してきた。彼はあまり説明しない人、というより説明がうまくない人なので、本意はわからないのであるが、本間がそれを解釈して、トップページのワンラインに掲げた。
つまり、私と才木は、演劇の経験を経た、社会人の経験を経た、しょぼいか華やかかはわからないが50年の生活を経た、現代日本人男性(げんだいにっぽんじんだんせい)であって、その体と言葉には、固有の価値がある。ということだ。

例えば、左岸狂言「鱒釣」。これは私が戯曲をつくったのだけど全く自分が書いたという気がしない。たまたま、小学生のころから能狂言に親しんだ関西人が、たまたまスペイン語の勉強をしていて、スペインの昔話を知った、その場所に、ぽつんと花が開いたようにできたものだ。そして、たまたま友人の仏教学者が戯作以上の時間と労力をつぎ込んで監修してくれた。
「これも今は昔、比叡の山に児ありけり。僧たち、宵のつれづれに」
教科書で学んだ古文は、私が努力して身に着けたものではない。
けれど、ふいに口をついて出てくる。それだけのことで何か楽しい。そんなことである。
あ、才木はこうも言ってた。「在日コリアンのコミュニティってめっちゃ伝統芸能で盛り上がるんよね。でも、その伝統っていうのも、実はつい最近できたもんだったりするのよね(大意)」

制作会議

平日の稽古は19時に集合して、20時に終了(緊急事態宣言運用)のため、制作会議は土日や別途日を決めて集まることになる。これまでこんなことを話した
・芝居にしたいテーマ
・β公演までの大まかな道のり
・劇団ホームページの新企画について
・劇団のロゴ
・中期的目標
才木は物静かなので、本間が提案して、意見を聞くことが多いのだが、できるだけ一気に決めないようにしている。大事なことは中断して、間をおいて何回も話す。
ところで演劇的文化的人脈は圧倒的に才木の方が豊かなのであった。
寡黙は信頼を生む(本間の座右の銘の切実さを感じ取ってほしい)

二人でやる贅沢

コードネーム「バス」はこんな風に作っている。

  1. 設定とだいたいの出口を決めた
  2. 本間が開始イメージを才木が起承転結の起を持ってきた
  3. 本間が設定に沿った形で転にあたるシーンを持ってきた
  4. 本間が承にあたるシーンを持ってきた
  5. 才木が結の入り口にあたるシーンを持ってきた

何日もかけて、持ってきては読み、感想を軽く話し、少し書き直し、つなげて読む。ということを繰り返している。多分シナリオ完成の五合目を越えたあたりに今いる。

なんと贅沢な作り方かと思う。おそらくシナリオが完成してからも足したり引いたり曲げたり伸ばしたり縮めたりしながら舞台をつくるのだ。二人だからできる贅沢だ。

闖入者

公共施設で稽古をしていると、部屋を間違えて他団体の方が入ってくることがあります。先日2/2の稽古はうっかり屋さんの多い団体があったのか、3名の方が間違えて入ってきました。最後の方は強烈で、才木が長ゼリフの最中、ちょうどとある卑語を発声する直前にドアを開け「あら、間違いました?」「はい。ここ第×室です」バタン
ぎゃはははははははははははは。あっぶねぇー!

様々なテキストを読む

料理昇降機(The Dumb Waiter ) ハロルド・ピンター

ゴドーを待ちながら、ハードボイルド版。いや本当に。男二人で劇団を立ち上げたのなら、これを読まない手はない。といいつつ才木は初見。一渉り読んでから、最初のテンション爆上がりシーン(どこかは想像にお任せします)を繰り返し。才木、本間とも残酷な描写にビビッドであることがわかる。のちに作劇の一部につながる趣向の発見である

アフターダーク 村上春樹

才木、村上春樹も読んだことがなかった。どんだけ食わず嫌いやねん。マリとカオルのバーでの会話。マリとコオロギのラブホテル従業員控室での会話を。後者のコオロギの科白は本間のオールタイムベストのセリフで、これを才木が実に俗っぽく艶っぽく読むのである。版権取ってこまして舞台にするか。と一瞬気迷った。
-アドバイス:堂々と自分の<好き>をカンパニー内で表明しましょう。恥ずかしい、しかしその100倍の豊かさが返ってきます

ペスト アルベール・カミュ

今度は、この高名な作品を、本間が読んでいない!後半、リウーとタルーのダイアログ。リウーの社会に対する(村上春樹がシステムと呼ぶそれだ)憤りを、才木がストレートに表明する。日本の島国ネスについて語る。おそらくいつかの公演で、左岸族は社会派というようなアプローチをとることがあるだろう。それはそれとして、素晴らしい海水浴のシーン。コードネーム「バス」に割と露骨にとりこまれそうです。(もちろん参考引用文献としてあげます)

病の哲学 小泉義之

才木の社会派チックなところを刺激しようと本間が持ち込む。病人の生を、普段、低次元と言われがちな生を、肯定し、その独自の価値を顕彰する哲学書だ。
-アドバイス:テキストは戯曲、小説に限らない。あらゆるものを読んで劇団の厚みを増そう

稽古フィーを決める

話は前後するが、本間は初稽古の直前、独断で稽古フィーを決めて一方的に才木に伝えた。稽古の都度、俳優にフィーを払うことにしたのだ。(税務署に見つかりませんように)
-解説。50代で芝居再開して、俳優部に手弁当はいやだったのです

互いの芝居感を掴む

二回目の稽古では本間が自分の戯曲を持ち込んだ。「夏至4人の芝居を1人2役で読んだ後、2人だけのシーンをいくつか、何回か読む。読み終わって才木「北海道の広い感じっていうか、ロードムービーっていうか。うんうん。」(彼は極端に言葉が少なくなるときがある)。本間「あ、そういう感じか、札幌の北に石狩っていう土地があって、このあたりの風景が(ぺらぺらぺらぺら)」(相変わらず言葉が多い)。
大切なのはお互いの芝居感(観)をつかむことだ。相手がどんなことにぐっとくるのか。何に身体が反応し、何にピンとこないのか。10代だったら、こういう議論を通じて、また人の意見に影響されて、自分の感受性を形成することもあろう。だが私たちは50代なのだ。価値観は固まっている。議論をしてすりあわせ、合致させる類いのものではない。それよりも互いの差異と類似を明らかにして、そのことから自分の感受性を照らし出す。相手に気づくことからはじめて、自分に気づき、自分を少し変える。稽古はここからしばらくこの作業に専念することとなった

初稽古で感じたこと(劇団の意義)

「タイムマシン」は4人の男のオムニバス、過去から未来に引き継がれていくものは何なのか?逆に何が変わるのか、探り探り二人で変わりばんこに読む

「ラストリーフをわたしに」はワンシチュエーションの語り物。主人公が自分を突き放してみていること、大切にしていること、自分でもよくわからないこと。腑分けしながら腑分けしたものをどのくらいの表現で伝えるか、才木が本間の読みに軽く演出を入れる

最後に才木が読む

日常で人と触れ合うために芝居がかった佇まいでしか生きていけない人がいる。例えばゲイバーで勤めるゲイがそうだ。その人を舞台で更に演じる。才木のオーバーアクトで不器用な身体がドライブする。と、劇の最中に、ふと、そうした「演技」が割れて、何かとてもなまなましいものが顔を出す

「それこそがリアル」とまでは言わないが、その時、現れたものが正しく善く住まう世界を、この世にしつらえるために、本間は左岸族を立ち上げたのだ

初稽古

2020年10月29日初稽古
本間到着、やや遅れて才木到着、借りた部屋へイン。と、おもむろに才木、紙束をぞろぞろと取り出す。ひとり芝居用に書いた台本2本「ラストリーフを私に」「タイムマシン」を持ってきたのだ
本間盛行「(あ、そう来たのね
「ラストリーフを私に」は9月に才木が行った一人芝居、「タイムマシン」は本間は初見である

ホンを読む

演劇の稽古の一つが「ホンを読む」ことだ。セリフを覚える前に、ホンを手にして読む。物語や登場人物の様子を言葉越しに伺うような、この過程が私はとても好きだ。セリフを入れて立ち稽古になると、物語や人物は傍らにいるような按配なのだが、ホンを読んでいるときはまだ遠くにいる。その遠さの分、あーでもないこーでもないと、アプローチを探っていくのがホン読みの楽しみだ。
-アドバイス。最初に戯曲を読むときは出来るだけゆっくり読むと良い。読みながら感じた違和感やそれでも妙に引っ張られて気分が盛り上がってしまいそうになったところを覚えておくと良い

稽古場を確保する

10月下旬から月2回で稽古開始を決める。二人なのでスケジュール繰りも楽。ぽんぽんと曜日で決定。翌日大阪市の公民館を検索。オンライン予約がないので、その夜、手続きに。
-教訓:人数が少ないとこの辺りが本当に楽。二人で始めることをおすすめする理由です。場所もいよいよならカラオケボックスでもいいのも少人数の強み

初稽古の内容を決める

稽古の内容はメッセンジャーでやりとり
本間盛行「 初回のメニュー、アイデアとかリクエストあったらおしえて 
才木典泰「今までの稽古スタイルとか教えてもらえるといいかな。
本間盛行「 おお。じゃあ初日はカンパニーの野望とこれまでのお互いの稽古経験を披露しましょう!

この時点で本間は身体訓練としてやったことのあるいくつかのエチュードを考えていた

始めに

ここでは、左岸族の立ち上げからを辿りつつ、劇団を立ち上げようと考えている方たちに役に立つ(という気持ちで)テキストを残していきます(文責は本間盛行

思い立つ

劇団を始めようと思い立ったのは、2020年の8月で、その場で才木典泰にDMを送った。すぐにサムズアップ👍が戻ってきたので、それが劇団の最初のタイムスタンプ
-省察:劇団を始めるなら2人がいい。1)決断が早い 2)スケジュールあわせが楽
-アドバイス:まずは二人で初めて、最初の公演を打ってから人数を増やしていく

劇団名を決める

9月に才木典泰が一人芝居を行った後、10月に最初の打ち合わせを約束する。それまで主にメッセンジャーでやりとり。

本間「劇団名のことなんだけど、" ~の一座 "みたいなの良くない?時代錯誤的で
才木「いいねぇ

ということで10月の最初の制作会議(天満橋の喫茶店で開催)

才木典泰「劇団名なんだけどサガンはどうやろ
本間盛行「サガン?
才木典泰「左岸の一座
本間盛行「お、枚方!淀川左岸ね。いいじゃん。じゃ、少しおいといて後でもう一度戻ってこよう
(稽古頻度や大まかな公演への目標感を話して、本間たばこ吸いに行き、帰ってきて
本間盛行「今さ、たばこ吸いながら考えたんだけど(才木典泰はタバコを去年やめた)、「一座」いいだしたの僕やけど、「族」はどうやろ?(ノートに大書する

「左岸族」

時代錯誤でいくない?
才木典泰「いいね!

●カンパニー名が決定

-省察:劇団名大事、時間のかけ方も大事
-アドバイス:自分のアイデアがあっても他の意見も尊重しよう。みんなで決めた感大事