劇団をはじめる

左岸族リアルドキュメンタリー
ここでは主宰の本間が劇団立ち上げからの模様を記録しています。
これから劇団を始める方の参考になるようなコンテンツを目指しています
(新しい記事が上に積み重なる方式です)

since 2010.8

(仮)砂漠のそばの海

‐ モチーフはアパッチ族。 梁石日、小松左京、開高健のテキストを読むところから作劇を開始しました。本間の持ち込むメインストーリーに才木がサイドストーリーを加え、のんびりと作劇してきました。2023年5月、上演第一稿が完成、夏から秋の公演に向けて制作を開始します

試演会

試演会の後、お客さんとアフタートークをした。戯曲書きの本間が、俳優の才木に頼っている部分大であることに気づかされた。ということで本公演、このあたり微調整して挑みましょう。

そのまんまさ

演劇の、というか舞台の、そのまんまさ、を何とかして観客に届けたい。という思いがあって、これは左岸族というより私の強いモチベーションだ。といって、かつてのハプニングやパフォーマンス、というのとは少し違う。演じているものと演じられていることが、同時に、そこに存在する、それを見ている観客席も存在する。全ての「存在している感じ」が同等に、必然性を持って成立しているような舞台。難しいことを書いているようですが、「あ、そこに人がいる!」って思ってもらいたいのです。そんな試演会を目指します。

試演会

やっと試演会までこぎつけた。今回の2作は年始、ほぼ同時期に才木と本間が書いてきたものだが、才木の『Mido Ave.』は全く直すことなく成立し、本間の『対話劇:らんげいじ』は細かく改稿すること14版まで来て、やっと上演用になった。才木の滋味深いコメントとAパート潤色でなんとか仕上がった感じ。そして、できてみると、なるほどこれがやりたかったことだったのか。というホンになりました。よければ、ご覧くだされば。

ばらばら

先日のラジオ左岸 Rock'n Sci-Fi Showで、才木の芝居の話から始まって、かたまりをばらばらにする。ということを語った、ところ、プライベートで、自分がばらばらになることがいくつか立て続き、猛烈な置いてけぼり感を得ている。やあ、自分はゼロだなあ、さすがにおっさんなのでレスザンゼロまでは思わないけど、こういう<何にもなさ>と直面するのは久しぶり。人とのつながり方を忘れてしまったような錯覚に陥りながら、歩いたり走ったり神社にお参りしたりした。この感じ、新作になんとか取り入れたい 2022/1/16

2020年初稽古

1/12、初稽古。才木、本間がそれぞれ自分の書きたいことを書いたテキストを持ち寄って読み合わせ。考えれば、劇団を始めた頃と同じことをやっている。才木自ら曰く「すこしオースターっぽく、街のスケッチを」初見で読んで、風景の見える手触り。
本間は、劇団開始時から温めていた対話劇5場のスケルトン。才木曰く「確かにこれを観たいお客さんはいる。それをどうやってみつけるかが問題やね」たしかに。これは制作の仕事ですね。とにかく人に会う、ですね。
稽古後、ラジオ左岸族収録。毎回才木には驚かされる。

2022/1/14 追記:そうそう、稽古して、久しぶりに自分の声と身体に会った気持ちになった。ことを記録しておきます。

2021年1月、ロケハン

才木と二人で大原に出かけた。コードネーム「バス」(のちの「さがんをゆくバスで」)作劇のため、長距離路線バスに乗るという企画。三条京阪で落ちあい、バスに。三千院で雪の美しさにやあやあ言い合い、清流をEM除染しているという看板に本間が大喜び。再びバスで移動し、貴船神社へ。何を話していたかは忘れた。京錦織のデザインパターンがPC-9801の8インチか5インチのフロッピーディスクに保存されていて、現役で動いている、という話はしたはずだ。
貴船神社の入り口では、日照りの時には黒い馬、長雨の時には白い馬を奉納していたということを知り、慄然とする。いつか芝居をつくりたい。参拝後、近くの食堂で食べたご飯が大層おいしく、勢い余って鞍馬寺まで歩いた。ワンゲル部出身の才木は意気軒高と、運動不足の本間はようようのことでついていった。
鞍馬寺の入り口には6体の地蔵尊がおわしまし、たまたまこれを探していた知人がいたので、画像を送った。かなりくたびれて帰路についた。
あれから1年である。レパートリーが3本できた。どの作品にもこの日のロケハンの刻印がある。

マヂカデミルゲキ 制作ノート 4 (無名劇団観劇


無名劇団は12/5、12、19と一週間ごとに新作発表という怒涛の進行中。それもすべてアトリエ以外の公演だ。来年結成20年のベテランのタフさと、若手中心メンバーの勢いを強く感じる。才木とともに、12/5のボンバイエ!「眼鏡屋のお父さん」編を観劇。鶴見橋商店街7番街の眼鏡屋を舞台に、その店主に取材したドキュメンタルシアター。才木、喜ぶ喜ぶ。ラスト(本当の店主が、お客さんに応対して終わり)が、それまでの物語をすっと胸に落とし込むきれいな演出だった。
終劇後、無名劇団制作氏とマヂカデミルゲキの打ち合わせ。懸案をサクサク、テキパキと片付ける。お主デキルな!タイプの方だ。
才木も本間も勝手に対バン感が盛り上がり、稽古後、この芝居をテーマにラジオ収録 > 
稽古は、果てしなく体力勝負。才木の心肺機能がんばれ!

マヂカデミルゲキ 制作ノート 3 (無名劇団アトリエ訪問

2021/11/17

夜、無名劇団アトリエを訪問。日曜日のアトリエ公演、 ボンバイエ!「ここが西成、鶴見橋商店街」編のリハーサルを見学。鶴見橋商店街7番街は地下鉄花園町駅からいい感じに遠く、1番街から順に夜の商店街を歩いてアクセス。服屋さんだった店舗を改装した劇場で俳優たちと演出がいい感じに丁寧に、場当たりをしている。わかりよい劇団内幕もので、テンポよくまとまった小劇のあとお楽しみイベントという構成。自然に地元に根付こうというスタンス。あと、進行役の俳優さんの目力が強かった。鋭いというより分厚い視線。マヂカデミルゲキ「最古のパン屋さん」が楽しみ。全体構成を考えなければ!

マヂカデミルゲキ 制作ノート 2 (承前:新作制作

1カンパニー不参加となり、新作を作る段になって、アイデアは一応あった。左岸族を立ち上げた時から作ろうと考えていた掌編軽演劇だ。さっそく才木とメッセンジャーでやりとりする

本間>連絡とった。(降板確定とその後処理もろもろ)
本間>で、一晩寝て俺らが新作つくるのはええのでは?という気持ちです。ずっと言うてた科特隊のやつ、これを機に一気に作りませんか
才木>やってみようか。でもちょっとイメージはっきりしないので、粗本書いてもらっていいですか
本間>ああ。本は書きます。来週中にあげます!
本間>今週は仕事と制作と本書きしますので稽古休にさせてください!週末には本出します!

カトクタイは科学特捜隊。(初代)ウルトラマンの所属していた組織である。ウルトラQの後継として作られたシリーズだからなのだろう、外敵と戦い地球を守るというイメージはない。あくまでも科学で特別な捜査をするチームなのだ。

本間>カトクタイδ版できました。(ホンのURL)
本間>夜までに直すかもですが、ひとまずこんな感じです

才木>うーむ、ちょっと〇〇的すぎるかな。客が〇〇のひとならわかるけど。


才木がホンに明確にダメを出すのは初めてだ。その夜の読み合わせで、いくつか弱点の指摘を受ける。確かに、その方向で手を入れれば、いけるかも知れない。ついで才木がラストの方向性を尋ねてきた。「 ××××× の悲哀?べただけど」「おっしゃ」

書き直しを約して、稽古解散。実はこの時点で少し気重になっていた。これは外してしまったかもしれないという弱気な気分になったのだ。

何回か手を入れるが、入れれば入れるほど理屈っぽくなり、濁っていく。映画を観る。手を入れる。仕事をする。手を入れる。しっくりこない。適切なインプットがないのに無理やりアウトプットしているような感じ。何日か過ぎ、弱気が焦りに変わりはじめている。

こういう時どうするかというと、膨大なインプットの蓄えられているところに行くのだ。単体で芝居や映画を観るのではなく、巨大な貯蔵庫を訪れるのだ。

茶屋町の書店でフロアを行き来し、通路を往復し、背表紙を眺め、一番気になったのが「会計の世界史」という本で、ぱらぱらめくっているうちに突然、アーサー・ミラーのことを思い出した。そうだ『セールスマンの死』だ!果たして文庫コーナーにそれはあった。

久しぶりに読んだ『セールスマンの死』は、あれ、こんなにベタでしたっけ?というくらいわかりやすく欲望に満ちていた。ああ、若い戯曲だ。やりたいことを全部叩き込んだ戯曲だ。まったくカトクタイの参考にはならない。けれど、書き直す気力は十分みなぎっていた。


ホンを直した後の稽古。才木は、ラストのパフォーマンスで「×××××の悲哀」を全力でアホカッコよく表現する。それを受けて、ラストの構成を少し変える。行けた。レパートリーになる。

マヂカデミルゲキ 制作ノート 1 (参加団体確定

2021年9月某日 左岸族meeting。3カ月おきにcommon cafeで何かやろうと決めてから初の打ち合わせ。レパートリーは二つ。うち1つは10分強の狂言。もう一つは9月に試演会をやったばかりの中編。ピンでやるには企画性が足りない。「他のカンパニー誘おうか。イメージとしては対バン的な」という一言で、企画即決。
 

2021年9月某日 才木経由でつないでもらったパフォーマーにフェイスブックメッセンジャーでコンタクト。

2021年9月某日 パフォーマー氏と連絡が取れない。いったん「すみません。他当たります」のメッセージを入れ、知人にメールで相談。ベテランのソロ・アクターとABCホールの関西小劇場演劇祭の参加団体のサジェスチョンを受ける。まずはアクター氏に連絡。

2021年9月 某日 アクター氏から丁寧なお断りの返信。完全に納得。ううコロナめ!
関西小劇場演劇祭の参加団体のうち、左岸族と一番色が違うような予感のあった無名劇団に連絡。HPのお問い合わせフォームに企画概要を送り付けるという少々乱暴なアクセス。

2021年9月~10月。無名劇団主宰島原さんから丁寧な手紙。久しぶりの公演活動をちょうど企画中、少し時間が欲しいとのこと。10月頭まで待つ。

2021年10月某日。島原さんから了承の連絡。良かった。カンパニーそろった(この後、下エントリーの制作会議)。

2021年10月某日。当初より参加予定だったカンパニー主宰から、よんどころない(としか言いようがない)事情で不参加の旨連絡あり。心内「ああ、それは仕方ないな」と思いながら「一晩おいて、明日もう一度話しましょう」と伝える。その後、稽古。才木に伝える。「今はノープラン」「ですよねー」

2021年10月某日。再びカンパニー主宰に電話。昨日の結論を再確認。「まあ変わらないですよね」と伝えつつ、一晩おいたことで心は決まっていた。2カンパニーの対バンで行こう。アイデア転がしていた新作をこの機に一気に作ろう。才木に連絡。了承。リブート。

マヂカデミルゲキ初顔合わせ

2021/10/19
ヒポポクラテス、無名劇団、左岸族3団体4名集まっての顔合わせ。準備していったペーパーは概ね了承。一安心。その後の会話で印象に残ったのは、100名規模の劇場の少なさという話題。小空間の次がいきなりホールになってしまうため、勢い集客力のある俳優を集めた公演ばかりになってしまう。とのこと。なるほど。劇場作るか、200席くらいの勾配がっつりつけた客席の。劇場弐百席。(妄想です)

制作

12月のイベントに向けてぼちぼち制作。制作とは結局、人への接し方のことだ。メッセージの伝え方と受け取り方、それに尽きる。さて、もう少しで概要お知らせできると思います。あと、別の企画も準備中です。

外国語

2021/9/21
一昨日観た映画の劇中劇で多言語による舞台が演じられていた。相互に言葉は通じているという理解での上演だった。今、僕は真逆のことを考えていて、外国語の伝わらなさを中核に埋め込んだ芝居を(いつか)つくりたい。わりとストレートにブレヒト的異化を現代化したい。明日は制作会議。

手書き 2021/9/14

私(本間)や才木はインターネット前時代にハイティーンを過ごした。何か書くということは、つまり紙に書くということだった。手書きのノート、ボールペン原紙(通じるのかしら)で印刷したぺら雑誌。どちらも人に見せることが前提だった。二人とも悪筆だったからこそ、見え方(見栄えというのとは少し違う)には気をつかった。今も同じことをしている。芝居作りもこのホームページも(すぐに修正できるということが過日との大きな違いではある)

試演会

試演会を終えて三つの層で分かったことがある。
一つは俳優としてのレイヤで、やっとこの劇を人前で演じる身体の在り方がわかった。観客の視線を久しく浴びていなかったので、本当に上演中にお客さんに教えてもらった(当日初めてやった演技プランがいくつかあり、どれも決定的に腑に落ちた)。
二つ目は制作または劇団主宰としてのレイヤで、自分たちで自負していた以上にこの劇に可能性があるということ。これはここから次の公演に向けて広げていくところ。
そして、三つ目はとても個人的なことで、何故才木君と芝居したかったかが分かったということ。身も蓋もない言い方をすると、僕は(一人称が「僕」になることをお許しください)フィクションの中で誰かに許されたり、ねぎらわれたりしたかったのだ。そして、それは才木君の演じる人物であってほしかったのだ。
最後は本当に個人的なことなので書くのに少し躊躇があったけど、たぶん今記録しておかないと、失われてしまいそうなので記録しました。もちろん、お客さんは全く気にしなくて良い(気にしていただいても良い)話です。妄言多謝。2021/9/6

場当たり

2021/08/31 コモンカフェで場当たり。場当たりとは本番舞台で立ち位置やデハケ(登場と退場)舞台裏の動線、その他、舞台全般のチェックを行うことを言う。
19時からの開始に、30分ほど早く本間到着。昼間の日替わりカフェ(火曜日はいろいろな紅茶を出すお店だそうです)の片付けを眺めながら、才木を待つ。
19時、才木着。「おお。ひさしぶりやなあ(コモンカフェに来るのが)」嬉しそうな顔をしている。もちろん私も。本番舞台というのはとにかくワクワクするものなのだ。
テーブルやいすを片付け、舞台と客席を設定し、音をならす。
「おお!いけるやんこれ(今回準備した音響機材)」
何曲かかけて気分はすっかり幕前、終演後である。
いい気分で場当たりをして、二人でその都度(いやちょっと嘘、たいていは本間が)「いけんのちゃうのん。これいけてんのちゃうん?」
と興奮気味にもろもろをチェック。今回の試演会で準備すべきことはすべて段取れた。
後は、制作的準備と2回の稽古で、試演会本番であります。

制作という名の買い物

2021/8/28 制作活動という名の買い物。多分自主映画なんかもそうなのだろうが、舞台を作ると公演の度、今まで買ったことのないものを買うことになる。今日もそういものを三種類入手。両方試演会でそれぞれの場所でお客さんをお出迎えする。ものづくりには原材料がいるのである。

稽古場

劇団員二人とも会社員のため、稽古日はこまめに決めている。試演会が決まって、当日までの稽古日を決めて、そこから場所を探した。いつも使っている公立施設で日程の半分くらいとれた。別の公立施設を探す。前日に予約できた。市内の貸しスタジオを探す。8月残り2回の稽古を予約する。

見つかってありがたい。

ありがたいのだけれど、大阪市の市内の公立施設が前日に借りられる。ミナミにある貸しスタジオが一か月前に予約できる。いったい大阪の文化活動ってどうなっているんだろう?(僕らは二人なのでカラオケボックスだって稽古するのだけど)

少しさびしい。

ドラマターク

2021/7/8
いつも言葉少なな才木が稽古前に「最後の方のこのセリフ、ちょっと違和感あんねけど、変えていいかな、まあ、まずアドリブで」と申し出る。「うんうん」
やってみる。明らかに良くなる。
本間が書いた抽象的一般的なラインを戯曲の流れに即した具体的なラインに変えたのだ。
ということで、あふれ出した断片は公開の方に回します。
(どう変わったかは本番でのお楽しみ!)

久しぶりの屋内稽古

2週間ぶりか。稽古。屋内。屋外で稽古していたせいで、知らず芝居全体の線が太くなっていたことを実感する。少し高い位置に座って掛け合ったら、バス感がいやます。演じている側からの視界大切。タイトルについて、ひとつ提案。来週、今後の予定を確定に行く。

稽古休み

2021/6/16 相方のファミリーマターで今週は稽古がない。演劇だけが表現できる抽象空間をどう立ち上げるかひたすら考えている。できるはずだと考えている

古典

2021/6/11 久しぶりに能楽を観る。大局『砧』。言葉と体と声と音の横溢する素晴らしい古典劇。地に足の着いた空中楼閣。高度に抽象的なメロドラマ。伝統(伝わり統べられてきたもの)の、この確からしさ。口幅ったいことを言うが、左岸族もそこに連なるのだ。むろん十中八九消えていく側に入るだろう。しかし生まれ消えていくそのことで、私たちは新しい伝統の生成に参加している、というか参加させられているのだ。半世紀生きてくると、それは希望ではなく実感である

右岸

2021/6/9 さて、緊急事態宣言です。ホームとして使用してきた公民館(っていうのかしら今でも。大阪市の施設ですね)は休館が続いています。
で、今は右岸で稽古しています。川の右岸です。蚊がやってきます。ランナーが通り過ぎていきます。縄跳びしている人も、たたずんでいる人もいます。
演劇の稽古だって、市民のアクティビティであり、憩いなんです。そんな心意気で。

作劇1

2021/5/16 戯曲を読み直して、古典的なある構造があることを発見し、それにしたがって演出(演技)プランを仮置きする。才木に伝えると👍。この人、このマークよく使うけど本当のところどのていど、いいね、なんだろう?

愕然

コードネーム「バス」はWordの標準レイアウトで904ライン、16321字あった。役名とそれに続く空白を4文字として、ト書きや空行もえいやで、その分差っ引いても1万3千文字。覚えられるのか?

試演

2021/5/13 マージした稿を読み合わせ。公演ベース稿として、才木、本間とも異存なし。予想以上にパフォーミングアーツになったので、選任の演出家のいないカンパニーとして試演をやりたいなあという欲が出てきた

決定稿

2021/5/11
予想に反して、才木は既存部分を一切変更せず、ブリッジを一つと、必殺のアイテムを一つ差し込んできた。夜の公園の街灯の下で、お互いの戯曲を読む。本間の差し込んできたラインも才木の気に入った。細かな調整は本間稿をベースとし、そこに才木稿のブリッジとアイテムをマージして、決定稿。早く客前に出したい。

手元決定稿

第一稿の微調整を終えた。
起承転結の流れは変えない。
1.才木の持ち込んだプロットを変形
2.感情の飛ぶシーンを精査。a.丁寧につなぐ。b.よりギャップを広げる。c.ギャップの間に飛び石代わりの新しいラインを入れる
3.その他、細かな応答の修正。
いったんこれで手元の決定稿として、次の稽古を迎える

第一稿

コードネーム「バス」第一稿があがった。大きな変更はなかったが、才木の持ってきた部分を自分の好きな演劇の方に寄せる。おそらく才木は私の持ってきた側を才木の好きな演劇の方に寄せると考えているのだが、さて、どうなるだろう。

第一稿を通して読むと、キャラクターの立て方のメリハリがはっきりしたように思う。二人の男の片方は芝居的で、もう片方は演劇的なのだ。80年代に演劇を開始した人の戯曲だな。という気がする。

さて、少し寝かせて、最終調整をして、才木の稿とぶつけ合う。楽しみだ。

あだ名

2021/5/1
GWの最中は、コードネーム「バス」の書き直しに専念しているが、
才木からメッセージ、語りの中に登場する人物のあだ名を変えた。との報告。
もともと、本間が書いたパートで二人が共通に知る人物のあだ名を使っていたのだが、
これを響きのよく似た、だが架空の、それもありそうであまり聞いたことのないあだ名に
変えてきた。

なるほど。途端に広がりが出た。やるね、戯作者才木典秦

制作会議

2021/4/27 稽古場が緊急事態で閉鎖したためコメダ珈琲で打ち合わせ。7月公演の制作について。GWは「バス」のシナリオをそれぞれ上げてくる(二つのバージョンができる)のをぶつけて考える。当面戸外での稽古も行う。7月以降の客演の可能性。など。制作者としてやらねばならないことが増えた。やるぜ旗揚げ!

緊急事態宣言

2021/4/25より3度目の緊急事態宣言が発出されました。稽古場(公共施設)も宣言下ではクローズ。粛々と制作準備を進めます。というか、そろそろバスの戯曲あげないと。

実は

1)左岸狂言『鱒釣』には一か所実在の地名が出てくるが、実は俳優も制作も(多分)行ったことがない。執筆を開始してから、インターネットでちゃちゃっと裏を取って挿入したのである。何、世阿弥も観阿弥も見たこともない土地のこと書きまくっているやん、と厚かましくも使わせていただいてますが、そのうち取材に行きます。

2)また左岸狂言『鱒釣』には、とある島の名が出てくる。この箇所(祭文)は大阪市内を流れる大川にある中之島を眺めながらつくった。「水=すい」という音と、劇団にとって非常に個人的な記憶が、この祭文を(節つきで)一瞬で誕生させた。稽古で最後のセンテンスの語尾を変えた以外、思いついたそのままのかたち。(2021/4/18)

 

左岸狂言「鱒釣」の初お披露目を終えて、この芝居はお客さんと育てるタイプの芝居だということがわかりました。まずは関西圏、どこにでも参ります。子どもさんからおとなさんまで楽しめる10分程度の軽演劇です。イベントやお楽しみ会の賑やかしに、是非お声がけください。リクエストは「お問い合わせ」ページからどうぞ! 

初舞台

2021/4/11 初舞台が終わりました。ありがとうございました。

本番前ラスト稽古

2021/4/8 小さなイベントヘの参加だが、カンパニーにとっての初舞台。本番日前ラストの稽古は、力抜いて軽く読み、当日段取りを確認して、最後にランスルー。素人のつくる新作の狂言をどう見ていただけるのか、場所づくりは整えて、あとはお客さんの領域。お客さんを信じることが、今カンパニーができる唯一のこと。

リハーサル

2021/4/4。リハーサル。会場の小さなカフェを想定し、自分たちの順番が来て、道具配置、場当たり、前説、左岸狂言『鱒釣』、終了後の挨拶と、全体をランスルー。
むかし、札幌で大分出身の友人と「第6工場」という詩朗誦のユニットを組んだ時、Robert WyattのShipbuildingをかけながら詩を読む。みたいなベタな構成をしたことがある。その時友人が、音威子府(確か)の食堂で冷やしラーメンを頼んだら、お婆さんが普通のラーメン作って、それに氷浮かべて持ってきて「こんなもので良かったべか」とおずおず差し出してくれたエピソードを話してくれて、二人で「こんなもんだべか」精神で本番迎えましょうと決意した。
というエピソードを才木に話して、再び「こんなもんだべか」精神で創作狂言を披露する気合を確認する。
後は本番でおだたなければそれで良い。これに関してはむしろ本間が不安である。
※おだつ。北海道で知った言葉。子どもが広い場所に来るとはしゃいで走り回ってしまう、あの状態になること。子どももそうだが、大人も慣れない舞台におだつことが、ままある。

大声

2021/3/30 稽古。才木も本間も地声が大きい。かてて加えて、1980年代に学生演劇で俳優を開始したため、舞台用の発声が基本でかい。左岸狂言『鱒釣』の初披露は小さなカフェスペースである。声を押さえて押さえて稽古する。だが、ストーリーが盛り上がる。熱が入る。声もボリュームアップしてしまう。うるさい。うるさいって絶対。落ち着いていこう俺ら。

構造

演出するというのは、戯曲の中から何らかの構造を取り出し、それを時間と空間に配置することだと、考えていたし、今も考えています。コードネーム「バス」の作劇では、お互いが部分部分を持ち寄って、読んで、感想をつぶやいて、そのことで構造をつかんでいく作業をしているつもりでした。
ら。俳優部才木がここにきて、ぐいぐい構造を体現し始めている。むしろ構成・推敲途上の戯曲に構造を埋め込むような立ち姿に変わってきている。おお。これがナチュラルボーン俳優ってやつだ。と身内褒めみたいで恐縮ですが、理で芝居にアプローチするタイプの私は久しぶりのマイクロ・カルチャーショックを受けています。負けぬ。

ドラマターク

2021/3/19。ドラマドクターとかスクリプトドクターというほうがポピュラーかもしれない。シナリオを校正、修正、微調整する役割。昨日仕事の合間に、コードネーム「バス」の序盤の気になっていたところをセリフの対象を変えて、ラスト部分でそれを受けることを思いつき、忘れそうなので、その場で才木にメッセンジャーで打診。程なくしてサムアップのリプライ。二人ともシナリオを書き、演出をし、演技もするので、ドラマターク(一人では気づかない視点の導入が存在価値だと考えている)も二人。

30分の歴史

2021/3/16。コードネーム「バス」は登場人物の成長を見せるタイプの芝居ではない。とはいえ、邂逅による変化、というのは物語の王道なので、何がどのように変化できるのか、注意しいしい本を読む。相方の持ち込んだ「結」の完成度がかなり高いため、ここから逆照射して登場人物の初期条件を仮置きし、戯曲のそこここに変節点を仮打ちしていく。たった小一時間の言葉と体と感情の歴史編纂。広い意味での役作りの作業をゆっくりゆっくり行っています。

グルーブ

2021/3/11 鱒釣をさらってから、「バス」。突然相方に一本芯が通った。まだ戯曲も完成していないのだが、ある人物像を造形したという達成があった。双方の間にグルーブが形成された実感もあり、最後のワンラインを読み終えた後、はじめて音楽が流れる(音楽を入れる)ビジョンがあった。芝居ができあがりつつある。

持ち道具を決める

芝居をするのに、どこまで有対象とするのか、またどのていどリアルに作るのかは作劇ごとに変わりますが、『鱒釣』は狂言なのでシンプルに行くことに決めました。釣り竿に見立てた竹棒と扇子になりそうです。それと鳴り物は使う予定。

ダメだし

今の演劇人は、その行為をどう呼んでいるのだろう。私も才木も、(通し)稽古の後の反省のことを「ダメだし」と呼ぶ演劇環境で育った。そこは、演出が絶対的な決定権を持つ場であることが多かった(そうでないダメだしもあったが、やはりダメだし、と呼ばれているのであった)
新しい言葉を探さないといけない。振り返り、フィードバック、総括、ダメだし、そんなすべてを吹っ切る言葉。今なした行為をまるで他人事のように鑑賞し、連続と非連続、双方からの更新を駆動する言語活動を(最後ちょっと生硬な物言いですが

ミーム

制作会議で、カンパニーの方向性を話していた時、才木がミームというワードを持ち出してきた。彼はあまり説明しない人、というより説明がうまくない人なので、本意はわからないのであるが、本間がそれを解釈して、トップページのワンラインに掲げた。
つまり、私と才木は、演劇の経験を経た、社会人の経験を経た、しょぼいか華やかかはわからないが50年の生活を経た、現代日本人男性(げんだいにっぽんじんだんせい)であって、その体と言葉には、固有の価値がある。ということだ。

例えば、左岸狂言「鱒釣」。これは私が戯曲をつくったのだけど全く自分が書いたという気がしない。たまたま、小学生のころから能狂言に親しんだ関西人が、たまたまスペイン語の勉強をしていて、スペインの昔話を知った、その場所に、ぽつんと花が開いたようにできたものだ。そして、たまたま友人の仏教学者が戯作以上の時間と労力をつぎ込んで監修してくれた。
「これも今は昔、比叡の山に児ありけり。僧たち、宵のつれづれに」
教科書で学んだ古文は、私が努力して身に着けたものではない。
けれど、ふいに口をついて出てくる。それだけのことで何か楽しい。そんなことである。
あ、才木はこうも言ってた。「在日コリアンのコミュニティってめっちゃ伝統芸能で盛り上がるんよね。でも、その伝統っていうのも、実はつい最近できたもんだったりするのよね(大意)」

制作会議

平日の稽古は19時に集合して、20時に終了(緊急事態宣言運用)のため、制作会議は土日や別途日を決めて集まることになる。これまでこんなことを話した
・芝居にしたいテーマ
・β公演までの大まかな道のり
・劇団ホームページの新企画について
・劇団のロゴ
・中期的目標
才木は物静かなので、本間が提案して、意見を聞くことが多いのだが、できるだけ一気に決めないようにしている。大事なことは中断して、間をおいて何回も話す。
ところで演劇的文化的人脈は圧倒的に才木の方が豊かなのであった。
寡黙は信頼を生む(本間の座右の銘の切実さを感じ取ってほしい)

二人でやる贅沢

コードネーム「バス」はこんな風に作っている。

  1. 設定とだいたいの出口を決めた
  2. 本間が開始イメージを才木が起承転結の起を持ってきた
  3. 本間が設定に沿った形で転にあたるシーンを持ってきた
  4. 本間が承にあたるシーンを持ってきた
  5. 才木が結の入り口にあたるシーンを持ってきた

何日もかけて、持ってきては読み、感想を軽く話し、少し書き直し、つなげて読む。ということを繰り返している。多分シナリオ完成の五合目を越えたあたりに今いる。

なんと贅沢な作り方かと思う。おそらくシナリオが完成してからも足したり引いたり曲げたり伸ばしたり縮めたりしながら舞台をつくるのだ。二人だからできる贅沢だ。

闖入者

公共施設で稽古をしていると、部屋を間違えて他団体の方が入ってくることがあります。先日2/2の稽古はうっかり屋さんの多い団体があったのか、3名の方が間違えて入ってきました。最後の方は強烈で、才木が長ゼリフの最中、ちょうどとある卑語を発声する直前にドアを開け「あら、間違いました?」「はい。ここ第×室です」バタン
ぎゃはははははははははははは。あっぶねぇー!

様々なテキストを読む

料理昇降機(The Dumb Waiter ) ハロルド・ピンター

ゴドーを待ちながら、ハードボイルド版。いや本当に。男二人で劇団を立ち上げたのなら、これを読まない手はない。といいつつ才木は初見。一渉り読んでから、最初のテンション爆上がりシーン(どこかは想像にお任せします)を繰り返し。才木、本間とも残酷な描写にビビッドであることがわかる。のちに作劇の一部につながる趣向の発見である

アフターダーク 村上春樹

才木、村上春樹も読んだことがなかった。どんだけ食わず嫌いやねん。マリとカオルのバーでの会話。マリとコオロギのラブホテル従業員控室での会話を。後者のコオロギの科白は本間のオールタイムベストのセリフで、これを才木が実に俗っぽく艶っぽく読むのである。版権取ってこまして舞台にするか。と一瞬気迷った。
-アドバイス:堂々と自分の<好き>をカンパニー内で表明しましょう。恥ずかしい、しかしその100倍の豊かさが返ってきます

ペスト アルベール・カミュ

今度は、この高名な作品を、本間が読んでいない!後半、リウーとタルーのダイアログ。リウーの社会に対する(村上春樹がシステムと呼ぶそれだ)憤りを、才木がストレートに表明する。日本の島国ネスについて語る。おそらくいつかの公演で、左岸族は社会派というようなアプローチをとることがあるだろう。それはそれとして、素晴らしい海水浴のシーン。コードネーム「バス」に割と露骨にとりこまれそうです。(もちろん参考引用文献としてあげます)

病の哲学 小泉義之

才木の社会派チックなところを刺激しようと本間が持ち込む。病人の生を、普段、低次元と言われがちな生を、肯定し、その独自の価値を顕彰する哲学書だ。
-アドバイス:テキストは戯曲、小説に限らない。あらゆるものを読んで劇団の厚みを増そう

稽古フィーを決める

話は前後するが、本間は初稽古の直前、独断で稽古フィーを決めて一方的に才木に伝えた。稽古の都度、俳優にフィーを払うことにしたのだ。(税務署に見つかりませんように)
-解説。50代で芝居再開して、俳優部に手弁当はいやだったのです

互いの芝居感を掴む

二回目の稽古では本間が自分の戯曲を持ち込んだ。「夏至4人の芝居を1人2役で読んだ後、2人だけのシーンをいくつか、何回か読む。読み終わって才木「北海道の広い感じっていうか、ロードムービーっていうか。うんうん。」(彼は極端に言葉が少なくなるときがある)。本間「あ、そういう感じか、札幌の北に石狩っていう土地があって、このあたりの風景が(ぺらぺらぺらぺら)」(相変わらず言葉が多い)。
大切なのはお互いの芝居感(観)をつかむことだ。相手がどんなことにぐっとくるのか。何に身体が反応し、何にピンとこないのか。10代だったら、こういう議論を通じて、また人の意見に影響されて、自分の感受性を形成することもあろう。だが私たちは50代なのだ。価値観は固まっている。議論をしてすりあわせ、合致させる類いのものではない。それよりも互いの差異と類似を明らかにして、そのことから自分の感受性を照らし出す。相手に気づくことからはじめて、自分に気づき、自分を少し変える。稽古はここからしばらくこの作業に専念することとなった

初稽古で感じたこと(劇団の意義)

「タイムマシン」は4人の男のオムニバス、過去から未来に引き継がれていくものは何なのか?逆に何が変わるのか、探り探り二人で変わりばんこに読む

「ラストリーフをわたしに」はワンシチュエーションの語り物。主人公が自分を突き放してみていること、大切にしていること、自分でもよくわからないこと。腑分けしながら腑分けしたものをどのくらいの表現で伝えるか、才木が本間の読みに軽く演出を入れる

最後に才木が読む

日常で人と触れ合うために芝居がかった佇まいでしか生きていけない人がいる。例えばゲイバーで勤めるゲイがそうだ。その人を舞台で更に演じる。才木のオーバーアクトで不器用な身体がドライブする。と、劇の最中に、ふと、そうした「演技」が割れて、何かとてもなまなましいものが顔を出す

「それこそがリアル」とまでは言わないが、その時、現れたものが正しく善く住まう世界を、この世にしつらえるために、本間は左岸族を立ち上げたのだ

初稽古

2020年10月29日初稽古
本間到着、やや遅れて才木到着、借りた部屋へイン。と、おもむろに才木、紙束をぞろぞろと取り出す。ひとり芝居用に書いた台本2本「ラストリーフを私に」「タイムマシン」を持ってきたのだ
本間盛行「(あ、そう来たのね
「ラストリーフを私に」は9月に才木が行った一人芝居、「タイムマシン」は本間は初見である

ホンを読む

演劇の稽古の一つが「ホンを読む」ことだ。セリフを覚える前に、ホンを手にして読む。物語や登場人物の様子を言葉越しに伺うような、この過程が私はとても好きだ。セリフを入れて立ち稽古になると、物語や人物は傍らにいるような按配なのだが、ホンを読んでいるときはまだ遠くにいる。その遠さの分、あーでもないこーでもないと、アプローチを探っていくのがホン読みの楽しみだ。
-アドバイス。最初に戯曲を読むときは出来るだけゆっくり読むと良い。読みながら感じた違和感やそれでも妙に引っ張られて気分が盛り上がってしまいそうになったところを覚えておくと良い

稽古場を確保する

10月下旬から月2回で稽古開始を決める。二人なのでスケジュール繰りも楽。ぽんぽんと曜日で決定。翌日大阪市の公民館を検索。オンライン予約がないので、その夜、手続きに。
-教訓:人数が少ないとこの辺りが本当に楽。二人で始めることをおすすめする理由です。場所もいよいよならカラオケボックスでもいいのも少人数の強み

初稽古の内容を決める

稽古の内容はメッセンジャーでやりとり
本間盛行「 初回のメニュー、アイデアとかリクエストあったらおしえて 
才木典泰「今までの稽古スタイルとか教えてもらえるといいかな。
本間盛行「 おお。じゃあ初日はカンパニーの野望とこれまでのお互いの稽古経験を披露しましょう!

この時点で本間は身体訓練としてやったことのあるいくつかのエチュードを考えていた

始めに

ここでは、左岸族の立ち上げからを辿りつつ、劇団を立ち上げようと考えている方たちに役に立つ(という気持ちで)テキストを残していきます(文責は本間盛行

思い立つ

劇団を始めようと思い立ったのは、2020年の8月で、その場で才木典泰にDMを送った。すぐにサムズアップ👍が戻ってきたので、それが劇団の最初のタイムスタンプ
-省察:劇団を始めるなら2人がいい。1)決断が早い 2)スケジュールあわせが楽
-アドバイス:まずは二人で初めて、最初の公演を打ってから人数を増やしていく

劇団名を決める

9月に才木典泰が一人芝居を行った後、10月に最初の打ち合わせを約束する。それまで主にメッセンジャーでやりとり。

本間「劇団名のことなんだけど、" ~の一座 "みたいなの良くない?時代錯誤的で
才木「いいねぇ

ということで10月の最初の制作会議(天満橋の喫茶店で開催)

才木典泰「劇団名なんだけどサガンはどうやろ
本間盛行「サガン?
才木典泰「左岸の一座
本間盛行「お、枚方!淀川左岸ね。いいじゃん。じゃ、少しおいといて後でもう一度戻ってこよう
(稽古頻度や大まかな公演への目標感を話して、本間たばこ吸いに行き、帰ってきて
本間盛行「今さ、たばこ吸いながら考えたんだけど(才木典泰はタバコを去年やめた)、「一座」いいだしたの僕やけど、「族」はどうやろ?(ノートに大書する

「左岸族」

時代錯誤でいくない?
才木典泰「いいね!

●カンパニー名が決定

-省察:劇団名大事、時間のかけ方も大事
-アドバイス:自分のアイデアがあっても他の意見も尊重しよう。みんなで決めた感大事